2021-09-21

フランス 2種類の環状交差点 徹底解説!

お気軽に、シェア歓迎です!


Bonjour 

町工場社長の地域密着型ブログへようこそ


これまで本ブログでフランスの道路事情や交通ルールを取り上げてきましたが、今回は以前も取り上げた欧州特有の環状交差点「ラウンドアバウト(Roundabout)」フランス語でホンポアン(Ront-point)を再度取り上げます。


実は一般的に環状交差点の呼称として呼ばれているホンポアンですが、実は2種類あって、普段我々が呼んでいる呼び方は分類上「別の物」であることを知りました。以前ココでも取り上げたのですが、「呼称」と「交通ルール」が食い違っていたので今回詳しく解説します。

環状交差点には二つのタイプが存在し、

  1. Rond-point ホンポアン
  2. Sens giratoire ソンス ジラトワァ

両方とも環状交差点で、見た目も同じですが、実は多くの人が「2」のことを「1」と呼んでいます。
それぞれの呼称に適用される交通ルールが違います。その前にルールの基本

★欧州やフランスに存在する
「Priorité à droite」プリオリテアドワット⇒右側車両優先ルール
(簡単に言うと⇒自分の進行方向に対して右側から交差する道路の車両を優先しなければならない、標識や優先順位が示されている場合を除く)
右側車両優先ルールに掲げられる標識の例

日本には無いルールです。前回記事で詳細を触れていますので、フランスや欧州で運転される方は必ず一読下さい↓

簡単に言うと、このルールが環状交差点に適用されるかどうか?
の違いです。


1, Rond-Point ホンポアン(丸いポイント)


は、右側車両優先ルールが適用されます!
すなわち、環内を反時計回りで走っている場合、右側から入ってくる車両を優先しなければなりません!!!入る車が優先です。
これに該当する環状交差点は、凱旋門の周回の環状交差点など、ほんの一部です。田舎や地方の極小の環状交差点もこれに類する場合があります!
入ってくる車両が優先されているのが分かると思います

我々が普段、呼んでいる環状交差点(ホンポアン)とはルールが違いました。


2, Sens giratoire ソンス ジラトワァ(Carrefour giratoire)循環交差点



は、右側車両優先ルールが適用されません。環内を走っている車両が優先されるので、環状から出る車が優先されます。入場する車は、環内の車両を優先し、その場合は停止線手前で待たなければなりません。
環内の車が優先され、入る車は待たなければなりません。
停止線に注目!


環状交差点を示す標識、環状の入り口、または手前に設置されていることが多いです。
一時停止ラインが併設されています。



※ここまで述べたことは、法規上の呼び名が違うと言うことであり、実は一般のフランス人もホンポアンと呼んでいるので注意して下さい。ホンポアンが環状交差点の総称を考えると理解しやすいと思います。自動車教習所ではこの違いを学ぶらしいですが、教習所によっては教えないところもあるようです(^_^;

フランスが起源を持つ環状交差点、フランス全土に30,000カ所、2番目に多いドイツの6倍以上の数です。これらを普段は「ホンポアン」と我々は呼んでいるのですが、右側車両優先ルールが適用されません。環内から出る車が優先です。十分ご注意下さい。
これについても前回記事で標識や動画を交えて解説していますので、一読下さい↓。




取りまとめると、実際に走る方を混乱させないために
  1. ソンスジラ○▲◇……と言う名前は忘れて良いです(^_^;
  2. 99%の環状交差点が出る車優先です。自分が合流するときは環内の車を優先しましょう
  3. 田舎で「超小さい」ホンポアンを見つけたら、環状へ交差する道路に停止線が書かれているか確認しましょう。停止線が無ければ右側優先ルールに則り、自分が環内を走っていても、入場する車があれば譲りましょう!
ということで、この記事を書きながら皆さんを混乱させてしまったのでは無いかと心配しております。混乱したら、お詫びします(^^ゞ
凱旋門の環状道路が「右側優先」(入場車両優先)であるという豆知識で終わりたいと思います(^_^;

凱旋門の通過

右側車両優先ルールの具体例

環状交差点の走り方を解説


動画サブチャンネルAbonnez-vous  登録よろしくお願いします♡

下の「筆者バナー」 および
にほんブログ村 PVランキング「このブログに投票を押していただけると
励みになります。シルブプレ!

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

フランス(海外生活・情報)ランキング 
       ▼▽👇▽👇▼▽👇▽👇▼▽👇▼▽👇▼▽👇

またね À bientôt ! (あ びあんとぅ!) 

 https://draft.blogger.com/blog/post/edit/7719486235640307526/5202803731509786925


https://www.ornikar.com/code/cours/circulation/intersections/rond-point-giratoire

https://fr.wikipedia.org/wiki/Carrefour_giratoire

ホンポアン un sens giratoire の違い


2021-09-18

Renault トラックの前身 Berliet 社(ベリエ)の軌跡を訪ねる

お気軽に、シェア歓迎です!


Bonjour 

町工場社長の地域密着型ブログへようこそ


今は無きフランス自動車メーカー「BERLIET」ベリエ



去る2016年
ご縁があって、リヨン近郊で現在の「ルノートラック」の前身のメーカー、「BERLIET」(ベリエ)という今はなき自動車メーカーの展示を見る機会をいただきました。私設管理の展示で倉庫に保管されている物を見学します。なので、一般公開されていません。末えいのお孫さん直々の解説付きで百台以上を見てきました。(2020年より基金が運営する展示に変わりました。しかし博物館ではなく、基金による所蔵展示となります⇒ブログ最後にリンクを案内します)
トラック、特装車、軍事車両が主事業となるため、時代に翻弄され、経済動向やニーズの変化で様々な必需車両を製作してきた歴史は面白かったです。自分のお気に入りは、クラッシックカーのトラックと世界一巨大なダンプ!
クラッシックカーのトラックは商用という枠組みでなく、しっかりデザインされていました。

  1. 歴史背景
  2. 1900年〜 創業当時の自動車メーカーとしての生産群
  3. 戦時による特装車や軍事車両、後にトラックメーカーとして名をはせる時代
  4. 基金ホームページ アクセス


1.歴史背景

創業者マリウス・ベリエにより1899年に誕生、1970年ごろまでメーカーとしては存続していました。フランスのガソリンエンジン自動車メーカーの起源です。エンジンメーカーから発祥し、そのエンジンは堅牢で構造がシンプルという信頼を海外を含め勝ち取りました。

ボディの製作が始まり、トラックや産業用車両が登場しますが、そののち二回の戦争に翻弄されます。

1916
第一次世界大戦で堅牢なエンジンが評判を得て政府からの戦争特需の注文が増大し、工場を新設、事業を拡大します。しかし戦後受注は一気に途絶え、経営の危機に瀕します。


戦後、次の戦争までの間、積極的に新製品や開発が続き、メーカーとして確固たる地位を築きます。ディーゼルエンジンに舵を切るのもこのタイミングでした。


1940年代
第二次世界大戦 イギリス、フランスがドイツに宣戦布告し戦争が始まりますが、一部の工場が地理的にドイツに近かったこともあり一時占領地になってしまいました。そのため連合軍から爆撃を受け工場が一部生産できない状態に。その後 共産主義に協力した罪を着せられ、創業者であるマウリス・ベリエは投獄されます。戦後2年間の投獄の後、1949年に死去

戦後1950年以降は国の経済復興の上昇気流に乗り、経営もバランスを取り始めます。
しかし労働者による全国的なストライキにより会社が揺らぎます。経営陣は去り、会社は占拠され、労働者が勝利を勝ち取ります。

1970年まで一定の生産を保ちますが、つぎはオイルショックによる世界的な経済危機に翻弄され、政府監督下の元、1974年にルノーの子会社によって買収されます。1980年には完全にブランドが姿を消すこととなります。

2.1900年〜 創業当時の自動車メーカーとしての生産群

乗用車メインに商用車なども生産する時代、二度の世界大戦中にラグジュアリーカー644やDauphineシリーズを開発するが、二度目の戦争で戦時需要の会社へ
創業当時にしか見ることの出来ない一般大衆向けのラグジュアリーカー644

Dauphinシリーズ、オープントップも多くラインナップされた

1905年 HP60 
アメリカとの提携でライセンス生産を行ったが、技術が流出するなど問題を抱えた

3,戦時による特装車や軍事車両、後にトラックメーカーとして名をはせる時代

様々な時代の需要に応えるトラックを製造、多くのバスも手がけた。トラックは個性的な物が多く、大型化、走破性を極めた4輪駆動、当時石油採掘のサハラ砂漠での需要に応えるために開発されたBerliet 100Tなど




100T 700馬力の当時最大のダンプカー
1957年、サハラ砂漠の石油採掘に関わるプロジェクトにおいて、このトラックが製造されました。全部で4台が製造されたが、その後の受注や開発には繋がらなかった。

1902年(明治35年)日本との縁、どういういわれでこの写真があるのか分からなかったのですが、おそらく世界展開の営業の一環だと思われます。

様々な技術開発を行う中の変わり種、蒸気機関による自動車

軍事用に作られた水陸両用自動車

昔のアクセル(青部分)はこんな形でした

1923年にすでに電気自動車を開発、静かに徒歩のスピードで走る霊柩車
エンジン音が葬儀を邪魔しない仕様


写真を元に展示内容を紹介しています


4,基金HP アクセス

博物館は存在せず、末えいの子孫と雄志による基金が保存と不定期な展示を行っています。しかし見学出来ないわけではないので、HPの開催予定を確認すれば申し込みをすることが出来ます。見学場所はリヨン近郊です。

Fondation Berliet 
ここには様々な情報とトラックの歴史があります。一般的に紹介されていない情報が満載です
ネットショップ 




動画サブチャンネルAbonnez-vous  登録よろしくお願いします♡

下の「筆者バナー」 および
にほんブログ村 PVランキング「このブログに投票を押していただけると
励みになります。シルブプレ!

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

フランス(海外生活・情報)ランキング 
       ▼▽👇▽👇▼▽👇▽👇▼▽👇▼▽👇▼▽👇

またね À bientôt ! (あ びあんとぅ!)