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2021-01-30

はじめてのフランスの隣人 Part 1 /2

Bonjour 町工場社長の地域密着型ブログへようこそ

先日、フランス語の授業で「Voisin」(隣人、ご近所さん)について話がありました。5月に「La fête des voisins」というご近所さんが集まるお祭りがあるというものでした。

Voisin

フランス サンテティエンヌで、単身期間を経て今の家が二軒目なのですが、過去を振り返ると、一軒目の単身時代のアパートの隣人がなかなかキャラが濃くて、今となっては良い思い出なのですが、そんな隣人話をしたいと思います。

スキンヘッドの入れ墨オヤジ

写真はイメージです(けど…)



左 築100年のアパート

自分はここの三階に住んでいたのですが、下階の自分の部屋の真下に、ある中年の夫婦が住んでいました。子供はいなくて2匹のマルチーズを飼っていました。


アパートの一階 入り口 古いタイプの大きな木扉

入居時に大家さんから「下階の人が騒音のクレームを言ってくることがあるので何かあったらすぐ連絡を下さい」と言われました。どうやら少々精神を病んでいる方だったらしいのですが、見た目は「こわもてのチンピラ」風で、スキンヘッドに入れ墨、ガタイもしっかりした、渡仏直後の自分にとってはどうみても勝ちめのなさそうな、ハードルの高すぎる隣人です(^_^;


挨拶しても無視されるし、得体が分からないまま時間は過ぎたのですが、ある晩、彼はやってきました。食事を作っていると玄関扉をノックされ、普通に挨拶すると、案の定「おまえの足音がうるさい」というクレームでした。自分の部屋はクッションの効いたフローリングで、しかも靴は脱いで生活しているので響く音は立たないはずなのですが、こればかりは相手の感じ方によるところなので、その場はおとなしく言うことを聞きました。建設会社の勤務時代、こういうクレーム処理をしていたことがあったので、対処の仕方は心得ているつもりでしたが…ここはフランス、相手は不労のメ○○ラ。


室内は完全リフォーム済みの快適な空間

そしてまたある日、食事も終わってくつろいでいるときに突然やってきて「○×▽…★φσ.」と文句!足音は絶対無いはずなのに、いちゃもん!言葉が分からないので一応聞くふりはしますが基本無視!

週に2回から3回といった具合に、その頻度と文句のトーンは回を重ねるごとにエスカレートし、もうこうなるとサシで話をするレベルでは無かったので、扉を開けなくなっていましたが、ある日 いきなりやってきて「扉を蹴飛ばす」事態に発展!前触れ無くやってきていきなり蹴飛ばされるので、音と衝撃にこちらも飛び上がるくらいビックリするのですが、このときはさすがに頭にきて怒鳴り散らしたのですが、こんなことが日常的に繰り返されるようになりました。

蹴飛ばされた玄関扉!!

親父が暴れる→俺が文句言う(日本語)→マルチーズが吠える 怖い奥さんが下階の部屋から怒鳴る!

この収拾のつかないループですが、最後は彼の奥さんの一声「いい加減にしなさい!」てきなありがたい説教で修羅場が終わるパターンでした。

今思うとストレスですが、当時はフランスに来たばかりで気も張っていたし、フランスの全てを受け入れる気構えでいたので、少々のことではへこたれませんでした。大家さんが味方だったのでそこは自分にとって大きな安心材料でした。

家族が移住のための下見に来たときはこの家に数日泊まったのですが、このときもヤツは文句を言いにやってきて、妻と子供が恐れおののく事になってしまい、家族にとっては大きなストレスとなってしまいました。「フランス怖い...」

階段を上った先が共用廊下への出口

数ヶ月が過ぎたある日、自分は出張があり、一週間ほど家を空けてから帰宅したのですが、階段を上り、いつものように廊下に出ようとしたら、いつもの扉に新しく錠前が設置されていて、扉を開けられず外に出られませんでした。ようは自分の部屋の入り口がすぐそこなのに、廊下に出られず自分の部屋にたどり着けません。何が理由でそうなったのか分からないのですが、どうやらあいつの仕業のようでした。自分はその鍵をもちろん持っておらず開けられないし、離れたところに住んでいる大家さんに連絡して聞いても「何も聞いてない」と言うことだったので手の施しようがなかったのですが、このとき助けてくれたのが、同じ階に住む「アル中のお兄ちゃん」でした。濃いキャラ二人目の登場です(^_^;

長くなったので今回はこの辺で!

続編へ続く(^_^)


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2020-01-03

フランス あったかい話!

Bonjour 町工場社長の地域密着型ブログへようこそ


Meilleur voeux 2020 !

あけましておめでとうございます。

今年も4回目の新年をフランスで迎えました。日本のおせち料理が恋しいですね。

下の動画は毎年恒例、パリ年越しの凱旋門でのイベントです。現場には行っておりませんが、毎年これをテレビで見るのが恒例になりました。





さて新年早々ですので、ちょっと地元での暖かい体験談をひとつ!

2015年の11月にサンテティエンヌ入りしまして、まずは基盤を作るために単身で乗り込みました。アパートを借りて、単身赴任、一人暮らしの始まりです。



築うん十年、当時住んでいた最寄り駅Chateaucreuxすぐのアパート、立地は絶好、隣人はアル中の優しいお兄さん、下階はスキンヘッドのいちゃもんをつけに来るクレイジーなオッサンでした!海外初心者の自分にはハードルが高かった。今となっては懐かしい。

書類作成など仕事でもプリンターが必要なので、到着早々プリンターを買いに郊外型の大手ショッピングモール内にある「DARTY」という電気屋まで行きました。日本で言うヤマダ電機?みたいなところですね。
まだ車が無かったのでバスの路線を調べていざ出発、しかし路線を間違えたようで、方向はあっているのですが、一向に近付かない気配を感じて急いで降りて徒歩で現地まで行きました。なんとかたどり着き、無事プリンタ購入。店員に正しい「バス停」の場所を聞いたら、駐車場の外れにバス停があるらしい。。。フランス語が全くできなかったので店員の言葉が正しいか判別付かず、でもその言葉を信用してショッピングモールの駐車場を端から端まで歩くもバス停は見当たらず。でかい駐車場なので歩いている人などなかなかおらず、人に聞く勇気もなかなか出ないまま、プリンタを抱えながら駐車場をさまよい歩き、途方に暮れていたら一人のイカツイ感じの中年のオッサンが彼の車のそばに立っていました。



どんな言葉を使ったかは全く覚えていないのですが、バス停の場所を聞くと、「全く分からない」との返事。そりゃそうですよね。郊外型のショッピングモールで自家用車でなきゃ、なかなか来ないような場所なんです。車を持ってしまった今の自分に質問されてもさっぱり分かりませんわ
でそのおっさんが何をしたかというと、「ちょっと待ってろ!」っと。多分そう言ってました(半信半疑!!!)
おもむろに携帯を取りだし、なにやら電話。どうやら奥さんと話をしている様子。で電話終わって「乗れ!」と。
彼は奥さんの買い物終わりを待っているだけなので、時間があるから乗せていってやると!



車で10分程度ですかね。自宅近くまで乗せてくれました。
とにかくお礼も言いたいし、自分が何者かも説明したいのですがなかなか言葉見つからず、英語が通じなかったので助手席で 懸命にフランス語 をしゃべった覚えはあるのですが90%通じてない様子でしたね。
メルシー?くらいは言ったけど、何もお礼もできず、彼は自分を降ろして笑顔で戻っていきました!

これまでの自分の経験や現地の人間から聞く話では、とにかく困っている人をみるとすぐに手を差し伸べてくれると言うのがこちらのノリですね。パリや大都市ではあまり経験がありませんが、とにかく細かなことでもこれまで見ず知らずの人に色々助けてもらいました。

もし逆に、自分が困っていそうな人を見つけたら「どうして困っているんだろう?」と日本人ぽく ’ワンテンポ’ 空くところですが、フランス人はダイレクトに手を差し伸べてくれる印象です。

心温まるおっさんオッサンに助けられた」話でした!!!

A bientôt.
ではまた!


2016-09-11

Paris 同時テロと展示会出展

渡仏一ヶ月後に、大きな事件に見舞われます。
欧州活動の一つに展示会出展があります。
2015年は、11月17~20日にParisでおこなわれるMIDEST2015にAS-MECA BERNARD、由紀精密、Quleadと共に参加予定でした。

http://www.midest.com/




中小サプライヤーによる展示会で、欧州を中心に、中東・北アフリカ・アジアを含め、1000社以上の企業が参加しています。

11/13、開催準備日の前々日に、パリ同時テロが起こりました。
日仏で出展準備を進めていたのですが、日本チームの渡仏直前に起こりました。
搭乗まで一日に満たないタイミングで、参加か否かの決断に迫られました。

・通常通り出展
・日本チームは来仏せず、フランスチームだけで出展する
・展示物だけ並べて、会場には立たない
・出展取りやめ

情報が錯綜し、パリ現地の生情報を入手するも、国家非常事態宣言も発令され、予想がつかない状況に追い込まれました。
出展料が返還されないかもしれないが、出展という選択肢はあまりにもリスクが大きいと判断し、参加を取りやめました。
展示会自体は開催されたのですが、出展者、来場者ともに望むべき効果は得られなかったと思われます。

2015年は二度の大きなテロがフランスで起こりました。そして違う視点で見守りました。

一度目の1月に発生した「シャルリーエブド」のテロは、日本でメディアの情報を頼りに見守りました。外からの目線でフランスの安全を憂いていました。

二度目の今回は現地滞在後に起こった、そして巻き込まれる可能性があったかもしれない事件です。

そして現地フランスにいて感じたこと。
・危険は隣り合わせであること。
・ヨーロッパ、そして世界の現実を思い知ると同時に、日本がより安全であるということ。しかし日本もかつては戦争もしたし、本土空襲や地上戦に巻き込まれました。その上で今の安全があるということ。
・危険の度合いというのは比較や計り知ることはできませんが、日本においても地震などの自然災害、オウム真理教サリン事件、原発問題など、危険は他人事では無いこと。
改めて見ると完全な安全はどこにいても無いということです。

渡仏後に大きなテロが起こったために、フランス・ヨーロッパを危険視する風潮があり残念でなりません。
しかしテロ後も時間はいつも通りに流れ、人々は生活し、経済は動きます。
感覚的に言うと、日本でサリン事件は起こったけど、普通に生活している感じです。
きっとそのとき日本に滞在していた外国人達はみな母国から安否を気遣われ、母国では不安な時間を過ごしたのだろうと思いを巡らせました。

危険について現地で感じる情報は、引き続きここで発信していきます。

2016-07-23

思い出の最後の加工

ダイショウの製造を支えてきた若手二人

在籍中の個人の年間目標の一つで、仕事以外で加工テーマを決めて自分で製作をするという社内の課題がありました
転籍のタイミングで婚約することになった社員から申し出がありました
ダイショウで

「結婚指輪を作ってみたい」

と!
弊社の技術特徴の一つにマシニングの同時4軸加工があります。
この技術を使うチャレンジをすることになりました。

モデリングから試行錯誤しましたが、時間の猶予が無く、指輪デザインは町工場とのコラボで活躍中のデザイナー西村拓紀さんに依頼することにしました。
http://www.hndi.co.jp/

彼とは「製造+デザイン」のプロジェクトでいくつかの仕事を共にさせていただきました。時間の無い中、こちらの事情を察していただき快諾いただきました!

茅ヶ崎市ホノルル市 姉妹都市提携トロフィー
全日本空手選手権メダル製作
(※写真:西村拓紀デザインHPより引用)


そしていよいよプロジェクト始動!

●奥様の意見も取り入れて

デザインコンセプト 決定

シンプル だけど この世に一つしか無い指輪
二人で重なり合って生きていく 証を象徴
生活に寄り添いたいから、シンプルにも表情豊かにもつけられる
(※西村拓紀デザイン株式会社)

●デザイン決定

当人たちはもちろん、私も非常に気に入りました!向きを回転するとダブルとシングルの部分で表情が変わるデザインです。


●試作加工(ステンレス)

⇒治具加工(先輩の指導の下、加工)



●本加工

旋盤ブランク加工(私)⇒マシニング4軸加工(社員二人)⇒ワイヤーカット切断(当人)⇒旋盤仕上げ(当人・私)










研磨前の磨きは奥様も参戦、サイズの微調整までされてました!
(本画像は披露宴で製作の模様をスライド上映したものです)





●仕上げ研磨前




●完成(チタン製)




結婚式で指輪の交換、そして列席者に指輪の披露が行われたときにはさすがにこみ上げる物がありました(^_^;




我々は物を作る事が仕事ですが、その喜びの原点に触れることが出来ました。そして本人、そして関わった我々にとっても良い経験と思い出が出来ました。
物を造る、証を作る・・・ものづくりの力を信じ、フランスでも製造と技術を通して人とつながりたいと思います。

協力
西村拓紀デザイン株式会社
代表取締役:西村拓紀(にしむら ひろあき)

2016-07-21

渡仏準備

渡仏準備が始まりました
大きく分けて2つ

①日本法人ダイショウの整理
②フランス法人設立のための準備

です

フランス一極に力を集中するため、日本法人は生産活動など一時的に休止します。また生産設備、工場を貸借、または売却してそれを減資にしてフランス活動の資金にします。

4年前、きっかけがあったにも関わらず、進出に踏み切れなかったことの一つに会社の負債がありました。
4年が経ち、負債も減り、次の投資も視野に入れ始めたタイミングでもありました。
このタイミングに既存資産を利用して新しい投資に向けられるというのは、会社規模が小さいことも幸いしていました。

また先代が築いてきた資産を新しい投資に向けさせてもらう事には感謝しきれません。
新しい資金借り入れは起こさず、新天地で事業を進めることができます。


フランス法人設立準備に関しては、

・VISA(入国許可証)の取得
・フランス法人登記
・住居の確保

を始めました。


結果、約半年にわたり準備を進め、10月の渡仏へと向かいます。


株式会社ダイショウ工場と、マシニング搬出の様子

2016-07-20

家族の決断

私の家族は妻と子供二人です。
子供は6才と3才

妻とは結婚後、株式会社ダイショウで共に働いてきました。

彼女はサラリーマン家庭の一人娘で、中小企業とは無縁の人生を送ってきました。

しかし、縁があって自分と結婚
その後、どっぷり中小製造業に浸かることになります。
おそらく180°人生観が変わったと思います。

サラリーマン家庭から町工場に嫁ぎ、経理・総務関係のいっさいを任され、全く初めての仕事に戸惑いながら子育てを行い、10年かけてやっと軌道に乗り始めたら、今度はいきなりフランス行き。

私の決断に対しては、彼女は賛否両論もっていますが、基本的には挑戦する事に対して、応援すると言ってくれました。

今までを振り返ると、人生設計が設計図通りにいかないとしみじみ感じますが、こういう流れが我々流であると自分で納得するようにしています。


零細の我が社にとって経営は家族と密接です。また我が家にとっても会社の存在が身近であり、切っても切り離せません。
今度は場所を変えたフランスで家族が一体となって仕事と生活を送れるよう、歩みを進めます。




2011年まだフランスなど見えてない頃、妻が町工場について執筆した
ツールエンジニア ものづくり二人三脚」  

2016-07-19

社員の決断

株式会社ダイショウは社員数6名でした
そのうち現場で生産に携わる若手社員が2名おりました

自分が意思決定した後、彼らに相談しました。

会社の今後について彼らの意見を尊重したかったのです。

フランス進出のための活動は理解してもらっていましたが、具体的な時期や内容が明確に決まっていなかったため説明できていませんでした。

ここで自分の会社とはなんなのか?
会社の存在意義とはなにか?
皆で原点を振り返る作業をしました。

彼らとも話をすすめた結果、今後の選択肢は

1.フランス進出は中止、現状維持
2.フランス進出は始動、日本法人が実質的な生産を取りやめるため、ダイショウを退職
3.フランス進出を始動、彼らはCmonoCの中で転籍、間接的に関わりつづける

というものでした。

彼らの活躍と成長により、ダイショウはここまで成長してきました。
昨日まで、これから未来を一緒に作ろうとしていた仲間に対しての、非常に厳しい選択でもありました。

彼らは私の思い、そしてCmonoCの方向性に対して、賛同、そして後押しをしてくれました。

結果、CmonoC内での転籍を決断し、新会社QULEADと由紀精密へそれぞれへ転籍しました。

自分の誕生日に社員達がプレゼントしてくれたフランス製のボールペン
「フランスで商談獲得してこのボールペンでサインしてこい」と後押ししてくれました


彼らの思いもフランスに持って行き、いずれは彼らも直接的に関われる仕事に成長させたいと思います。

2016-07-18

自分の決断

2015年11月

CmonoCメンバー4社の代表が集まり、フランスおよび欧州展開の今後を決定する合宿を新横浜で行いました。
一泊での合宿です。

出た答えは

・Syncforと永井機械製作所 2社の経営の統合化
・DYSHOW がフランスへ進出する

というものでした。


最初の渡仏のきっかけから4年が過ぎていました。
フランスにパートナーがいるということ、そしてそのチャンスは永遠に続かない、今がその時であると直感的に感じました。

腹をくくった瞬間です。
他に決めなければいけないことはありましたが、個人の意思決定はここで成されました。

・今がチャンスである
・自分は2代目で、いままで挑戦をしてこなかった
・自社の町工場としての閉塞感の打破
・欧州で初の受託加工、パイオニアとして挑戦してみたい
・フランスの魅力


進出にあたり、日本法人との両輪での経営は不可能と判断し、日本の株式会社ダイショウは法人格は存続するも、生産業務は終了する事
フランス進出に当たり、現地法人子会社を作る

という答えの元に、渡仏までの約10か月の準備が始まります。

À bientôt !

2016-05-04

初渡仏



自分の初渡仏は2012年の1月,CmonoC(シンクフォー、永井機械、由紀精密)の各代表4人と共に欧州を視察しました。





地域の経済公社のはからいで、同業の現地企業に触れることができました。また日本駐在の海外メーカーさんのはかくらいもあり現地メーカーなども訪れることができました。

知識も浅く、このときの印象は、ヨーロッパっておもしろそう!!!でした。純粋に違う文化圏で同業にあったり、仕事を見ることが楽しかったのです。
国内でも、同業他社の見学って楽しいですからね。

非常に濃く、初々しい2週間を過ごしました。


●同業を訪ねて
どの工場も土地に余裕があり、工場内も機会の配置などスカスカな印象、日本と一番大きく違うところです。しかし話をしてみると困りごとや加工費の相場観など似ているところもありました。違いよりも同業の親近感・匂いを多く感じました。


●工業施設の見学
技術の先端の一部を見られるわけですが、各自治体や業界団体が行う工業、技術の教育に対する考え方は日本より遙かにすすんでいました。







●メーカー見学
受け継がれる技術の歴史と先端技術の融合を感じました。

●観光
パリ観光はテレビの向こうにいる感じ!元々特別な「フランス愛」は無かったのだけれど、やっぱり生は良い!!

●料理
自分はフランス料理を堪能したことは結婚式の列席くらいか? フォーマルなお店や家庭的なフランス料理、どれもおいしかった。


まだまだビジネスの匂いを感じることはできなかったけれど、現地の同業と会えて、仲間を知ることができたのが何よりの収穫でした。


2016-04-20

なぜフランス?



なぜフランスなのか?

その前に、なぜアジアではなく、欧州なのか?
我々が日頃手がける部品加工は量産ではなく試作です。

研究開発品、航空宇宙、エネルギー関連、医療・・・などの小ロット品であり、この開発市場は先進国にあるためです。
またフランスはヨーロッパ屈指の工業国であり、エアバス、ダッソー、サフラン、プジョーシトロエン・・・とグローバル企業が多く(66社)、また航空宇宙関連の事業規模割合が対GDP比で世界一です。(全体の規模はアメリカが世界一)

また欧州は言葉、文化など他の先進諸国に比べると参入障壁も高いと予測していて、難し方からチャレンジしようということもあります。

進出先であるリヨン近郊(ローヌ・アルプ州 右やや下)は地理的に西ヨーロッパの中心に位置し、ドイツ、スイス、イタリアの国境に近くハブ的な特色を持っています。今後はフランスに限らず欧州各国と取り引きを始めたいです。

それに加えてフランスという響きは女性にとってプラスなイメージ、要素が多く、奥様(家族)を連れて行くには有利なんですね。。フランスがどうしてもいや・・・と言う人はあまり聞いたことがありません。
しかしながら近年はテロの脅威や経済の不安定要素など、マイナス面も確かに存在します。

進出先はリヨン近郊のサンテティエンヌ(Saint Etienne )となります。
リヨンへは日本からの直行便が無いため、乗り継ぎとなりますが、ヨーロッパ各都市からの乗り継ぎ便は豊富で、ドイツ、イタリア、スイス、オランダ、モスクワなど他にも多くの都市との乗り継ぎが可能です。中東、トルコなどもあります。もちろんパリからの乗り継ぎも可能です。パリから陸路TGVでの移動も可能です。
航空券のここ数年での相場観ですが、時期によって差はありますが、連休明けなどの最安でパリ直行で10万円以下、乗り継ぎで6万円を切るものも多くあります。もちろん往復です。安いと思いませんか??ぜひリヨン視察を視野に入れてみて下さい!

フランスの人口は日本の約半分6600万人、リヨン市は人口約50万人、近郊都市と合わせると約165万人で、フランス第二の規模です。日本の横浜市(370万人)とは姉妹都市の関係にあります。パリからTGVで2時間ほど。東京ー大阪間程度ですね。

日本の町工場が進出するという事例は自分たちで調べた限りでは「初」であり、この挑戦がぜひ次に繋がる事を願ってやみません!
つづく・・・A bientôt !

2016-03-28

きっかけ



「株式会社ダイショウ」は、創業1967年の高度経済成長期に起業した金属部品加工の会社です。自分の父が「漁師⇒工員⇒脱サラ」を経て起業しました。

会社、平たく言うと町工場です。最大で10名以上いた頃もありましたが、現在(2015年)はたった5人で操業しいる小さな工場です。
自分はここで工作機械に向き合い、部品加工中心に鉄を削っておりました。

脱線しますが、ここで企業連携について少し触れます・・・

高度経済成長を支えた中小零細企業は、内需が盛んでお互いが競争相手でした。
ところがバブルがはじけ、右肩上がりの経済曲線が崩壊し、続いてリーマンショック、ITバブルの崩壊などめまぐるしく変動する国内経済に翻弄され、吹けば飛ぶような零細(と言う言い方は嫌いですが…)町工場は存続の危機に立たされました。
自分を含め、当時の仲間の二代目、三代目の後継者は隣の会社と争っている場合ではなく、手を取り合い始めたのがこの連携のきっかけです。それが形となったのが、CmonoC(茅ケ崎ものづくりクラスター)です。特に開始日や縛り、定例会などを決めたわけでもなく、未だに自由な集まりです。
ただし常に目標があってそれに向かって結束してきた事が今に繋がっています。


2010年、そのCmnonCのある集まりで突然でた話題・・・
「みんなでフランスで仕事してみない?」
唐突な話でしたが、面白そうだし断る理由もなく、みなで「フランスへ行こう!」と夢を語り盛り上がりました。
「どうしてフランスなの?」というやり取りはもちろんありましたが、詳しくは後日・・・

最初は事の大きさを知るべくもなく、「海外出張に行ける絶好のチャンス!」と捉えていました。
「町工場⇔フランス」というキーワードが自分の中で繋がらず、そのギャップがまた面白いことになるのではないか???とシンプルに考えていました。粛々と鉄を削っていた自分とっては刺激的で閉塞感を打破するような心躍るエネルギーを感じました。
きっかけが唐突すぎて実感がほとんど無かったです。。。
この瞬間からフランス行きを目指す活動へ!
ここからすべてが始まります。
つづく・・・A bientôt !