2016-11-17

滞在許可証申請

入国後に一番初めに手を付けた準備が、滞在許可証の申請です。
県庁ごとに手続き方法が若干異なるのですが、当方が所在するLoire(ロワール)県は以下のような流れです。

①滞在許可申請のための、アポイントを取るための資料を県庁へ郵送

②返信を受領後に、申請書を提出しに県庁で出向く

③レセピセ(仮の滞在許可証)受理 →県庁へ出向き、整理券をもらって長時間待って受領

④本証受理 →上記同様、出向いて直接受理

滞在許可証本証 プラスチックのカードです。carte de sejour と
よばれたりしていますが、表記はtitre de sejourです。
苦労して取得した命の次に大事なカード!! 


滞在許可証を受理して初めて法的に滞在し続けられるわけですが、法人登記に際して現地在住として代表就任するために、やはり滞在許可書の本証が必要でした。

これは現地に渡って後で分かったことなのですが、レセピセ(仮の滞在許可証)では登記人の滞在証明として効力を持たなく、本証でないとだめなことでした。

一刻も早く法人業務を進めたく、登記準備も出国前に済ませ、あとは法務局へ申請するだけの状態に整ってたので、レセピセの受領を機に登記をする予定でしたが、想定外の遅延要素でした。

受領できるまでの期間は、地域、タイミングによって異なるので一概には言えませんが、フランスのお役所の手続き時間は我々日本人の想定外外外...の時間がかかります(;^_^

第①段階の、アポイント取りのための郵送後、一か月以上音沙汰がなく、不安にかられる日々でした。
・初めての郵送だったので、ちゃんと配送されていないのではないか?
・返信が何らかの事情で届いていないのではないか?新居のポストには一度も郵便が届いた経過がないので、引越ししたての住所にちゃんと届けてくれているのか?郵便局に疑心暗鬼!
・いろんな人に相談すると「調べたほうがいいよ」といわれたり「フランスだからもうちょっと待ってみたら」など両方の意見があり。。。

結局、原因はわからないまま、ある日会社に直接電話がかかってきて申請に行くことに。。そのあとはとんとん拍子に進みました。
最終的に受領までは、自分は3~4か月と見込んでいましたが、結果約6か月弱かかりました。自分の読みは甘かったですが、周りの多くの助けがあってこの期間で取得できたことに感謝です。

レセピセと呼ばれる仮の滞在許可証

いろんな例が散見していました。
長い例だとレセピセの有効期間が半年なのですが、その有効期間を過ぎても呼び出しがなかったり、催促したら再度レセピセを発行された例なども聞きました。
また自分より後から申請して自分より早く受領された例もありました。

申請内容が違えば単純な比較ができませんが、移民の申請数、時期、内容、社会情勢(今回はテロなど・・)も大きく影響していると思われます。

自分の場合は想定より若干時間はかかったものの、周りの協力もあり、無事受領できました。



次は法人登記です。

2016-09-22

TOLERATOR

フランスの製造現場のレアグッヅを少しづつ紹介していきます!
現場目線での情報発信!がんばります。。

第一弾、はじめはコレ!

「TOLERATOR」 トレラトー


はめあい軸穴交差を一目で確認できるこれ。
手のひらサイズで、ダイヤル式になっています。


ダイヤルを回すと、公差規格が回転して、お目当ての公差が出たら、あとは対象径を見比べるだけ。
シンプルだけど、携帯出来て、便利です。

自分は携帯の公差アプリを使っていましたが、この「TOLERATOR」は範囲が広いのが特徴で、見たことない公差も入っています。

【DESCRIPTION(スペック)】
・φ500㎜まで
上下2か所の白い公差欄が回転します
・約6400の公差
軸だけですが、書き出してみます。
a9-13 b8-13 c5-13 cd5-10 d5-13 e5-10 ef3-10 f3-10 fg3-10 g3-10 h1-16
js1-16 j5-8 k3-13 m3-10 n3-11 p3-10 pr5-9 r3-10 s3-10 t5-9 u5-10 v5-8
x5-11 y6-10 z6-11 za6-11 zb7-11 zc7-11
※穴も同様の公差あり





・対象規格の表示
DEUTSLAND DIN7160/61
SCHWEIZ VSM 58401/02
USAS B4J
OSTERREICH621.753.2
ESPANA UNE5023
ITALIA UNI6388
ISO R.286
ENGLAND BS4500
FRANCE PNE 02105-118
BELGIQUE NBN 138
SVEDEN SMS2101-58
PORTUGAL NP190
HOLLAND NEN2800
JAPAN JIS B0401

うちでは検査室、現場の両方で使っています。

ARBRE(仏)、SHAFT(英)、WELLE、ALBERO・・・とEUの多言語で書かれているところもいいですね。
EUの加工をするなら一台持っておきたいですね~。もちろん日本でも使えます!
日本へのお土産にもいいかもしれません。

おなじ構造で、「タップ、スレッドバージョン」と、「測長規格バージョン」が存在します。
また今度詳しく調べてみます!





2016-09-20

Saint Etienne(サンテ=ティエンヌ) vol.1

SaintEtienne(サンテティエンヌ市)および地域を行政区画、地理的な観点で日本と比較しながら簡単にご紹介します。


  1. 行政区画
  2. ARA オーベルニュ ローヌ アルプ 地域圏
  3. Loire ロワール県
  4. Saint Etienne サンテティエンヌ市
  5. 工業の町
  6. 日本との比較


1.行政区画

フランスの行政区画は
州(地域圏)→県→市
という区分けとなります。

2.Auvergne-Rhône-Alpes地域圏 ARA オーベルニュ ローヌ アルプ


2016年1月よりサンテティエンヌが属するローヌアルプ州と隣接のオーベルニュ州が合併し、
オーベルニュ・ローヌアルプ州
として新体制となりました。
フランス第2の経済成長拠点であり、欧州全体でもGDPベースで実に第8位の経済規模を誇ることとなります。スイス、イタリアに隣接し、サンテティエンヌからは車で2~3時間ほどで国境まで行ける立地です。

面積 69000k㎡(北海道83400㎡)
人口 760万人(大阪府880万人)、


オーベルニュローヌアルプ州
















3.LOIRE県


フランスの県は県番号が割り当てられており、42番 全体で95番まであります。
縦に長く、サンテティエンヌは下方(南)に位置します。



サンテティエンヌはロワール県の県庁所在地です。

面積 4781k㎡(和歌山県)
人口 75万人(国内26位)



4.Saint Etienne サンテ=ティエンヌ



SaintEtienneはリヨン(フランス第二の都市)から南西約1時間ほどの位置

面積 80k㎡
人口18万人弱



5,工業の町

炭鉱と武器製造に端を発する工業が根付いた町
炭鉱の博物館や、工業を主とした展示がある博物館、武器工場跡地など工業の歴史を色濃く残しています。
町工場といわれる小さな事業所も数多く点在しています。

スイスの山間部に近い方面は、時計産業に代表されるような小物の精密部品
ここサンテティエンヌは、中程度の大きさ
沿岸部では重工が盛ん
な印象です

6.日本との比較

日本人は町自体、および近郊を含めて20人ほどしかいません。
日系企業が1社、駐在の方が数名いらっしゃいます。

在住の日本人はほとんどが日仏カップルで、日本人女性がほとんど、男性は非常に少ないです。
今のところ駐在さん以外で日日家庭(夫婦日本人)はいらっしゃいません。
ちなみにリヨン在住の日本人は2000人以上いるそうです。

以下は日本とフランスの比較です。

面積比で フランス×0.7=日本
人口比で フランス×1.9=日本
です

人口密度が日本の1/3  スカスカな印象です。レジャーや遊びに行っても日本のような混雑に合うことが稀です。渋滞も少ないし、その点は快適です!

( )は世界順位です。


※引用元 ウィキペディア

サンテティエンヌVol.2 へ続く


ではまた! A bientôt !  あ びあんとぅ!


2016-09-11

Paris 同時テロと展示会出展

渡仏一ヶ月後に、大きな事件に見舞われます。
欧州活動の一つに展示会出展があります。
2015年は、11月17~20日にParisでおこなわれるMIDEST2015にAS-MECA BERNARD、由紀精密、Quleadと共に参加予定でした。

http://www.midest.com/




中小サプライヤーによる展示会で、欧州を中心に、中東・北アフリカ・アジアを含め、1000社以上の企業が参加しています。

11/13、開催準備日の前々日に、パリ同時テロが起こりました。
日仏で出展準備を進めていたのですが、日本チームの渡仏直前に起こりました。
搭乗まで一日に満たないタイミングで、参加か否かの決断に迫られました。

・通常通り出展
・日本チームは来仏せず、フランスチームだけで出展する
・展示物だけ並べて、会場には立たない
・出展取りやめ

情報が錯綜し、パリ現地の生情報を入手するも、国家非常事態宣言も発令され、予想がつかない状況に追い込まれました。
出展料が返還されないかもしれないが、出展という選択肢はあまりにもリスクが大きいと判断し、参加を取りやめました。
展示会自体は開催されたのですが、出展者、来場者ともに望むべき効果は得られなかったと思われます。

2015年は二度の大きなテロがフランスで起こりました。そして違う視点で見守りました。

一度目の1月に発生した「シャルリーエブド」のテロは、日本でメディアの情報を頼りに見守りました。外からの目線でフランスの安全を憂いていました。

二度目の今回は現地滞在後に起こった、そして巻き込まれる可能性があったかもしれない事件です。

そして現地フランスにいて感じたこと。
・危険は隣り合わせであること。
・ヨーロッパ、そして世界の現実を思い知ると同時に、日本がより安全であるということ。しかし日本もかつては戦争もしたし、本土空襲や地上戦に巻き込まれました。その上で今の安全があるということ。
・危険の度合いというのは比較や計り知ることはできませんが、日本においても地震などの自然災害、オウム真理教サリン事件、原発問題など、危険は他人事では無いこと。
改めて見ると完全な安全はどこにいても無いということです。

渡仏後に大きなテロが起こったために、フランス・ヨーロッパを危険視する風潮があり残念でなりません。
しかしテロ後も時間はいつも通りに流れ、人々は生活し、経済は動きます。
感覚的に言うと、日本でサリン事件は起こったけど、普通に生活している感じです。
きっとそのとき日本に滞在していた外国人達はみな母国から安否を気遣われ、母国では不安な時間を過ごしたのだろうと思いを巡らせました。

危険について現地で感じる情報は、引き続きここで発信していきます。

2016-08-01

携帯電話購入

携帯購入をしないといけません
フランスでもスマホの普及は日本と同様です

一つ問題がありました。
携帯電話が会社名義で登録したかったため、会社の銀行口座が必要なのですが、
まだ会社がありません(^_^;)
法人登記が済んで、会社名義の銀行口座が持てて初めて携帯契約にむかえるわけです。

ですが、携帯(スマホ)は必携と考えていたので、現地の知人からアドバイスをもらいプリペイド式を選択しました。

シムフリーの端末があれば、シムを購入することで使えるようになります。
自分が日本から持ち込んだアイフォン6はシムフリーではなかったので、端末はアップルストアで購入。またおなじ6を購入しましたが、こちらの6はシムフリーです。

シムは携帯キャリアのショップが町中たくさんあるのでそこへ行き、パスポートの提示で購入ができます。非常に簡単で安かったです。うる覚えですが、¥1000円程度でした。
フランス三大キャリア「オホンジュ・エスエフエール・ブイーグ」



簡単といっても、新参者の自分にとって予測できない買い物はハードルが高かったので、在住歴が長い知人(日本人)に付き合ってもらって、念願かなってなんとか購入です(^_^;)

たたずまいは日本のそれとそっくりです!




その後、プリペイドシムにチャージをするのですが、街にあるtabacのお店で簡単にチャージできます。


TABACのお店は文字通りタバコ屋なのですが、たばこのほか、雑誌や飲み物、証紙、くじ等様々なものを取り扱っている店です。小さい店構えですが、街の至る所にあります。ちょっとガラの悪そうなオッサンが多くいることがありますが、非常に便利です。



自分がよく買っていたのは、通信3G、通話2時間、着信は無料というもので、30€です。会社事務所にはWIFIがあったので、自宅で動画とか見なければ一か月近くは持ちました。

レジで欲しい価格と容量(インターネット通信量)を言うと、レシートをくれます。そしてチャージ用の番号に電話します。

自動音声が流れるので、その指示に従い、そこに記載されている10桁ほどの番号を入力すると、チャージ完了です。

長期で入国する人は、シムフリー端末であれば、この方法で安価に通信ができるのでお勧めです!
通信料も価格もバラエティーに富んでいます。
残量もわかるので、便利でした。

その後、法人登記後に会社名義に切り替えて月極めの契約をしたのですが、シムの名義を変えるだけの手続きで済んだので、特に端末自体の操作は無く、店側でデータを変更して終了でした。番号もそのまま使えました(キャリアSFRの場合で、他のキャリアの場合はわかりません)
法人設立の準備期間で名刺に電話番号を記載したのですが、番号がそのまま使えて助かりました。

慣れない異国の生活にて、情報収集できるスマホは必携アイテムです。
仕事での国内外との連絡、家族とのやり取り。
紛失したり盗まれたらと思うと、ゾッとしますね。。
大都市圏では携帯の盗難など頻繁にあるので注意が必要ですね!!



2016-07-31

移住のための渡仏

日本での準備に目処がつきました。

・従業員の転籍
・生産設備の移管・売却
・工場売却
・VISA取得

そしていよいよ渡仏日の決定です。
2015年10月26日になりました。

片道航空券は非常に割高なため、
初めてモスクワ経由パリ入りを選択
通常直行便の半値以下でした

サラリーマン時代、海外勤務を避けていたのに、まさか自営になってから海外勤務、しかも当面の間は単身赴任、そんなことはこの商売・現業を初めて想像すらしてませんでした。

モスクワトランジットですが、2.5時間の乗り継ぎのため、
直行便(TKO→CDG)12時間のフライトが15時間程度で負担は少なめ

現地法人の登記ですが、代表が現地在住するという前提で進めたため、最終的に滞在許可証が無いと実行できません。
渡仏後はまず初めに

①滞在許可申請
②許可取得後、現地法人登記

の流れです。

フランスは日本に比べると役所などの手続き業務に時間が掛かります。
日本が早すぎるのか、その真意は別として、日本の感覚でいると足下をすくわれます。

想定外を想定して、準備を進めます。
どういうこと?ですが、そういうことです。

滞在県ごとに書式が異なる滞在許可申請書 
Loire県の申込書の一部

書類関係はスキャンで良いので徹底してバックアップを取り、いつ申請したか、郵便であればいつ投函したかなども記録しておく癖をつけました。
万が一、不備を指摘されたり、申請が受領されなかったときの保険です。
日本でもそのような準備は必要ですが、自分にとってここは言葉の通じない場所なので、念には念を入れます!


渡仏はだれでも出来ます。
これからは何をするかが問われます。

自分にできること
日本の会社にできること

を見定めて歩みを進めます。


2016-07-28

フランス語

良く聞かれます「フランス語はしゃべれるのですか?」
しゃべれません!!
英語が通じるのか?
町工場では通じません。フランス語です!


自分が実践した勉強法ですが、NHKの教材を自ら勉強する傍ら、パリにあるCmonoCの拠点に住む在住スタッフにSkypeで週一回の授業


そして地元のフランス語教室(ソレイユプロバンス)に週二回通いました
https://www.facebook.com/SoleilProvence/?fref=ts
http://www.soleilprovence.com/
ここへは家族も通いました。
※soleil provenceHPから引用



第二外国語専攻とかそういう予備知識は全くなく、初めて触れるフランス語です

英語も苦手意識マックスだし、自信もありません。
「がいこくごをべんきょうする」と言うことに40過ぎてから取り組みます。
でもやるしかありませんね。

書くこと、読むこと、聞くこと、しゃべること、
簡単ではないですね。

「向こうに行けば慣れるよ」なんて事はありません!
4年前から分かっていたハードルで、最大の難関です。

でも少しずつですが、出来るようになると楽しいもんです。
ストレスを感じることの方が断然多いですが(^_^;それでもやるしかありませんね。
「フランス語と格闘している」という表現がピッタリな毎日です!

現場用語も90%フランス語です。業界用語、機械用語は日本でもカタカタ英語が氾濫しているのでつい口走ってしまうのですが、英語に似ているものもありますが、全く違うものがほとんどです。
少しづつ業界用語の表を作成しています。

・辞書で調べる
・wikiで日本語で調べてからフランス語表示をする、
・goggleで検索して、画像を見て確認
・現場で聞く(教えてもらう)

といった具合で色々な方法で試行錯誤しています。



このブログはこちらに来てから書いているのですが、周りのフランス人はしゃべれない自分を実に温かく見守ってくれています
パートナー会社の社長夫妻は、週一回地元の大学で日本語を習いに行っています
頭が上がりません!


渡仏後は、地元の大学に週一回通いました。
https://cilec.univ-st-etienne.fr/fr/
はじめにクラス分けの試験を受けに行って、テストの受け方や説明をフランス語で受けるのですがさっぱりわからず理解に苦しみましたが、まぁ何とかなるもんです(笑)
学びに行っているのでわからなくて当然と腹をくくってました(^_^;)

そしてフランス語をフランス語で学ぶんですね。ハードル高いと思いましたが、教える方はプロなので、上手に教えてくれます。
半年のコースでしたが、フランスに来ている学生などを中心に世界各国の人々と学ぶその空間は非常に刺激的で楽しかったです。
また通おうと思います。

「フランス語をしゃべれる町工場のオヤジ」を目指したいと思います!

2016-07-26

VISA申請

海外で長期滞在して仕事をする上ではVISA(ビザ)が必要です。

VISA:滞在国が発行する入国許可証です。
このビザを取得して、入国します。

滞在許可証:これは入国後、居住する県が発行する滞在のための許可証です。
これを発行して貰わないと、滞在し続けられません。

まずはじめに在日フランス大使館でこのVISAを取得するため申請をします。
VISAにも色々種類があるのですが、自分は「Compétences et talents」(コンペタンス・エ・タラン)というVISAの取得を目指しました。

(※フランス大使館HPより引用)


このVISAは簡単に言うと、経験や能力を滞在国で発揮してその国の経済活動に貢献する
というものです。
技術職である、フランス法人の代表になるという部分が該当します。
3年間有効なので、他のVISAに比べて更新時期が長い利点があります。
また家族が同行できるため、自分が取得できれば家族のVISA申請も容易に行える予定です。
サルコジ政権時代の政策の一環で、フランス経済に取って有効なタレント・技術を多く取り込むための比較的新しいタイプのVISAです。

※申請者としての条件は
・高等教育機関修了者(学士、修士、博士)
・全ての分野における、資格を備えた専門職(高いレベルでの経験を証明することを前提とする)
・経済的な計画を有する投資家
・独立事業者:自由業、アーティスト、作家、スポーツ選手、など
・海外にグループ企業を持つフランス法人の取締役・重役
・フランスにおける系列会社または支店の最高責任者
(※フランス大使館HPからの引用)

必要書類は多岐にわたります。
(必要書類リストダウンロード フランス大使館HP⇒http://goo.gl/ReRBdG

その中で自分が苦心したのは

①自分の経験や能力を証明する証明書
②事業活動を始めるにあたり、その計画書

でした。

①は幸いにも、フランスのパートナー会社の社長が一筆したためてくれました。頭が上がりません!
②は計画書の作成と合わせて新会社の定款なども必要になり、登記準備と合わせて進めなければなりませんでした。

自分の準備と平行して、由紀精密がフランス法人設立を進めていたため、フランスのスタッフにより弁護士との仲介をしてもらい、フランス語での定款作成の目処をつけることが出来ました。
ちょうどこのタイミングに7月後半のヴァカンス開始時期がかさなり、弁護士ももちろんバカンスに行ってしまうので、ヴァカンス前に目処をつけるべく苦心した一幕もありました。早速フランスならではの洗礼です(^_^;
いずれも自分一人ではなし得ませんでしたが、仲間の存在・助力に助けられました。

そして大使館へ受付のアポを取り、申請に行きます。書類の不足・不備などがあっても訂正してくれないため、受付窓口には完璧な体制で臨まないと行けません。
ビザ申請料金は99ユーロ相当の日本円。支払は現金のみ。ビザ申請が却下された場合でも料金の返金は不可です。



申請後、町工場による特異な進出形態であったこともあり、大使館で別途プレゼンさせて貰ったりと想定外の手続きも経たのち、9月1日の申請から2週間ちょっとの9月17日にVISAを取得しました。一つハードルを越えることが出来ました。

フランスの入国許可証VISA 
ステッカーのようになっていてパスポート内に貼られます

この取得を受け、予定した入国日から起算して3ヶ月以内に入国しないといけません。
この結果を踏まえて、入国日決定、エアチケット購入、そしていよいよ入国です。
入国後は滞在許可申請を行います。
À bientôt !

2016-07-23

思い出の最後の加工

ダイショウの製造を支えてきた若手二人

在籍中の個人の年間目標の一つで、仕事以外で加工テーマを決めて自分で製作をするという社内の課題がありました
転籍のタイミングで婚約することになった社員から申し出がありました
ダイショウで

「結婚指輪を作ってみたい」

と!
弊社の技術特徴の一つにマシニングの同時4軸加工があります。
この技術を使うチャレンジをすることになりました。

モデリングから試行錯誤しましたが、時間の猶予が無く、指輪デザインは町工場とのコラボで活躍中のデザイナー西村拓紀さんに依頼することにしました。
http://www.hndi.co.jp/

彼とは「製造+デザイン」のプロジェクトでいくつかの仕事を共にさせていただきました。時間の無い中、こちらの事情を察していただき快諾いただきました!

茅ヶ崎市ホノルル市 姉妹都市提携トロフィー
全日本空手選手権メダル製作
(※写真:西村拓紀デザインHPより引用)


そしていよいよプロジェクト始動!

●奥様の意見も取り入れて

デザインコンセプト 決定

シンプル だけど この世に一つしか無い指輪
二人で重なり合って生きていく 証を象徴
生活に寄り添いたいから、シンプルにも表情豊かにもつけられる
(※西村拓紀デザイン株式会社)

●デザイン決定

当人たちはもちろん、私も非常に気に入りました!向きを回転するとダブルとシングルの部分で表情が変わるデザインです。


●試作加工(ステンレス)

⇒治具加工(先輩の指導の下、加工)



●本加工

旋盤ブランク加工(私)⇒マシニング4軸加工(社員二人)⇒ワイヤーカット切断(当人)⇒旋盤仕上げ(当人・私)










研磨前の磨きは奥様も参戦、サイズの微調整までされてました!
(本画像は披露宴で製作の模様をスライド上映したものです)





●仕上げ研磨前




●完成(チタン製)




結婚式で指輪の交換、そして列席者に指輪の披露が行われたときにはさすがにこみ上げる物がありました(^_^;




我々は物を作る事が仕事ですが、その喜びの原点に触れることが出来ました。そして本人、そして関わった我々にとっても良い経験と思い出が出来ました。
物を造る、証を作る・・・ものづくりの力を信じ、フランスでも製造と技術を通して人とつながりたいと思います。

協力
西村拓紀デザイン株式会社
代表取締役:西村拓紀(にしむら ひろあき)

2016-07-22

生産終了、そして資産売却

株式会社ダイショウ(有限会社大昌製作所)は約半世紀にわたり、製造で事業を営んできました。

1967年 創業当時の第一期工場

1983年 創業から16年後に現工業団地へ移転


今回の挑戦のため、日本でその製造を一時的にやめる決断をしました。
町工場、ものづくりは工場インフラ、工作機械、工具やその他の設備があってはじめてお金を稼ぐことが出来ます。生産休止の決断をした瞬間インフラと設備の重さに、改めて気づかされます。





おそらく、製造で起業した1代目の工場経営者は苦労してそのインフラを整えるわけで、その重みを理解していますが、自分は2代目です。そのインフラに最初から守られていたわけで、今までその上であぐらをかいていたとさえ感じました。


SNS中で仲間の町工場での製造風景の投稿をみると、うらめしく思うくらい、生産から離れること、自分の手から設備が無くなることは恐怖でもありました。


しかしそれらの設備に関してはCmonoCに引き継がれ、今後何かしらの形で今回の挑戦に関わってくれるので、少しですが安心材料ではあります。

設備の移籍先の一つとなったCmonoCの「株式会社Quleadクリード」新工場

渡仏に先立ち、自分は「Compétences et talents」(コンペタンス・エ・タラン)という滞在許可書を取得してフランス事業を目指します。


自分の経験と多少の能力しか持っていけません。
結局のところ、フランスに設備が無いと物は作れないのですが、同業のパートナーの存在でそれが実現可能となります。




心境的には包丁一本で外国に店を出す料理人の心境とはこういう物か、と勝手に想像します。


自分に出来ることは、単純明快です。
町工場で養った経験を進めるのみです。
退路を断った進出計画
一人の限界もあり、一足飛びには行きませんが、一歩一歩あゆみを進めます。

2016-07-21

渡仏準備

渡仏準備が始まりました
大きく分けて2つ

①日本法人ダイショウの整理
②フランス法人設立のための準備

です

フランス一極に力を集中するため、日本法人は生産活動など一時的に休止します。また生産設備、工場を貸借、または売却してそれを減資にしてフランス活動の資金にします。

4年前、きっかけがあったにも関わらず、進出に踏み切れなかったことの一つに会社の負債がありました。
4年が経ち、負債も減り、次の投資も視野に入れ始めたタイミングでもありました。
このタイミングに既存資産を利用して新しい投資に向けられるというのは、会社規模が小さいことも幸いしていました。

また先代が築いてきた資産を新しい投資に向けさせてもらう事には感謝しきれません。
新しい資金借り入れは起こさず、新天地で事業を進めることができます。


フランス法人設立準備に関しては、

・VISA(入国許可証)の取得
・フランス法人登記
・住居の確保

を始めました。


結果、約半年にわたり準備を進め、10月の渡仏へと向かいます。


株式会社ダイショウ工場と、マシニング搬出の様子

2016-07-20

家族の決断

私の家族は妻と子供二人です。
子供は6才と3才

妻とは結婚後、株式会社ダイショウで共に働いてきました。

彼女はサラリーマン家庭の一人娘で、中小企業とは無縁の人生を送ってきました。

しかし、縁があって自分と結婚
その後、どっぷり中小製造業に浸かることになります。
おそらく180°人生観が変わったと思います。

サラリーマン家庭から町工場に嫁ぎ、経理・総務関係のいっさいを任され、全く初めての仕事に戸惑いながら子育てを行い、10年かけてやっと軌道に乗り始めたら、今度はいきなりフランス行き。

私の決断に対しては、彼女は賛否両論もっていますが、基本的には挑戦する事に対して、応援すると言ってくれました。

今までを振り返ると、人生設計が設計図通りにいかないとしみじみ感じますが、こういう流れが我々流であると自分で納得するようにしています。


零細の我が社にとって経営は家族と密接です。また我が家にとっても会社の存在が身近であり、切っても切り離せません。
今度は場所を変えたフランスで家族が一体となって仕事と生活を送れるよう、歩みを進めます。




2011年まだフランスなど見えてない頃、妻が町工場について執筆した
ツールエンジニア ものづくり二人三脚」  

2016-07-19

社員の決断

株式会社ダイショウは社員数6名でした
そのうち現場で生産に携わる若手社員が2名おりました

自分が意思決定した後、彼らに相談しました。

会社の今後について彼らの意見を尊重したかったのです。

フランス進出のための活動は理解してもらっていましたが、具体的な時期や内容が明確に決まっていなかったため説明できていませんでした。

ここで自分の会社とはなんなのか?
会社の存在意義とはなにか?
皆で原点を振り返る作業をしました。

彼らとも話をすすめた結果、今後の選択肢は

1.フランス進出は中止、現状維持
2.フランス進出は始動、日本法人が実質的な生産を取りやめるため、ダイショウを退職
3.フランス進出を始動、彼らはCmonoCの中で転籍、間接的に関わりつづける

というものでした。

彼らの活躍と成長により、ダイショウはここまで成長してきました。
昨日まで、これから未来を一緒に作ろうとしていた仲間に対しての、非常に厳しい選択でもありました。

彼らは私の思い、そしてCmonoCの方向性に対して、賛同、そして後押しをしてくれました。

結果、CmonoC内での転籍を決断し、新会社QULEADと由紀精密へそれぞれへ転籍しました。

自分の誕生日に社員達がプレゼントしてくれたフランス製のボールペン
「フランスで商談獲得してこのボールペンでサインしてこい」と後押ししてくれました


彼らの思いもフランスに持って行き、いずれは彼らも直接的に関われる仕事に成長させたいと思います。

2016-07-18

自分の決断

2015年11月

CmonoCメンバー4社の代表が集まり、フランスおよび欧州展開の今後を決定する合宿を新横浜で行いました。
一泊での合宿です。

出た答えは

・Syncforと永井機械製作所 2社の経営の統合化
・DYSHOW がフランスへ進出する

というものでした。


最初の渡仏のきっかけから4年が過ぎていました。
フランスにパートナーがいるということ、そしてそのチャンスは永遠に続かない、今がその時であると直感的に感じました。

腹をくくった瞬間です。
他に決めなければいけないことはありましたが、個人の意思決定はここで成されました。

・今がチャンスである
・自分は2代目で、いままで挑戦をしてこなかった
・自社の町工場としての閉塞感の打破
・欧州で初の受託加工、パイオニアとして挑戦してみたい
・フランスの魅力


進出にあたり、日本法人との両輪での経営は不可能と判断し、日本の株式会社ダイショウは法人格は存続するも、生産業務は終了する事
フランス進出に当たり、現地法人子会社を作る

という答えの元に、渡仏までの約10か月の準備が始まります。

À bientôt !

2016-07-08

進出までのフランスとの関わり

本渡仏までに合計5回の往来を繰り返しました。

第1回:2012年 1月
第2回:2012年 6月
ここまでは前回お話しした通り

第3回:2013年 6月 トリノ~パリ(エアショー出展、補佐)
第4回:2015年 2月 サンテティエンヌ(パートナーとの再会) 
第5回:2015年 6月 サンテティエンヌ~パリ(住環境下見~パリエアショー出展、補佐)


(第3回)2013年 2月 トリノ~パリ
イタリア トリノの友人宅へ訪問し、その足でパリエアショーの出展に行きました。
トリノ フィアット旧本社屋上のテストコース


トリノ-パリ間はTGVで一本

はじめてのエアショー体験でした。世界三大エアショーの一つで、規模が大きく欧州独特の展示会の雰囲気が味わえます。2年に1回、パリのCDG空港近くの「ル・ブルジェ空港」を貸し切って行われます。
エンジンメーカーの展示

展示と合わせて滑走路では実機が展示され、上空では飛行性能のデモで戦闘機の曲技飛行、ジャンボジェットや輸送機が宙返りなど普段では見れないものが見れます!


由紀精密ブース・SYNCFOR社員も参加

ミサイルメーカーの展示

滑走路での展示

(第4回)2015年 2月 サンテティエンヌ
事業としての進出計画・移住が本格化し、パートナーに再会するため単独で足を運びました。
第2回渡仏の時のきっかけをもらったが、2年以上の月日が流れてしまいました。まだ我々との協業を意思として継続しているか?パートナーに確認しに行きました。
「Bien sûr! もちろんだよ」
快諾をもらえました。この返事をもらえたことにより、Dyshowのフランス進出が本格的に動き出します。

Saint Etienne CHATEAUCREUX 駅
(第5回)2015年 6月 サンテティエンヌ~パリ
移住を年末に控え、住環境の下見でサンテティエンヌへ。そして二回目のパリエアショーに!
まだフランス語は片言もしゃべれなかったですが、フランス国内の旅には慣れてきました。


エアショー次回開催は2017年、もしまた我々が出展できたなら同業関係者の方はぜひ体験しに来てほしいです!