以前の記事で、自分が住む町 Saint Etienne(サンテ=ティエンヌ) を行政区画や数値で紹介しました。今回は
サンテティエンヌと日本との関わり合い
についてお話します。
- 日本人 人口
- 日本食レストラン
- 日本酒
- その他
- 日本に貢献したステファノア(サンテティエンヌ人)
正確に言うと、自分の居住はサンテティエンヌ”近郊”なので住人ではないんです。
住まいは戸塚だけど、生粋の横浜っこでは無い?とかそんな感じです(伝わりにくい(^_^;)
1.日本人 人口
まずはじめに、日本人は何人住んでいるか?公式なデータではありませんが、人口180000人中、約20人ほどです。0.0001%、こうみ見ると超レアですね。
そのうちの大半を占めるのが日仏カップルです。日仏とはフランス人と日本人のカップルのことです。子育て世代がおおく、文化の違いやバイリンガルへの試みなど皆さん奮闘しています!
日系企業が1社有り、駐在ファミリーが数家族暮らしており、交流を持たせてもらっております。
中心街にあるSaint-Étienne Cathedral |
大学がある関係で、日本から体験や期間限定で来仏する日本人学生をしばしば見かけます。
一般大学、工業系(鉱業)、音楽校、etc.
日本の大学がサンテティエンヌへ訪問した機会もあり、地元大学との交流セッションに立ち会ったりもしました。
またサンテティエンヌの重鎮の日本人男性は35年間ここサンテティエンヌで教師として教鞭を振るっておりました。昨年,長年の海外での功績をたたえられ、文部大臣から賞を授与されました。
2.日本食レストラン
また欧州でよくあるのがアジアン料理一式のお店。中華、韓流、アジアンに混ざって日本食がビュッフェタイプで食べられるよくある中華系の名前のお店ですね。
これらのほとんどがアジア人経営のレストランで、料理はデフォルメされ、残念ながら本格的レストランはありませんでした。
丁度自分が入国した頃、同じタイミングで入国した日本人シェフのおかげで、現在は本物の日本食レストランをフランスで紹介できるようになりました。
Au vieux KAMI
ことあるごとご厄介になっております!
3.日本酒
じつは日本酒も手に入ります。
本格的にお酒を輸入しているお店がサンテティエンヌ近郊にあり、ネット購入、または店舗で手に入ります。ここは日仏カップル友人夫婦のお店です。のんべぇとしては環境に恵まれて幸せでございます!!
OSAKE.fr
そしてなんとフランスで初の日本酒の蔵元がサンテティエンヌ近郊のPiIat 山麓内に誕生しました。フランス人による日本米による本格日本酒。酒造の技術を日本で習得し、日本からも人的支援を受けながら邁進中です!
Les Larmes du Levant 昇淚酒造
日本酒ブームのトップランナーです。
The New York Times Style Magasin : Japan の記事
4.その他
松井大輔選手
2007シーズン、元日本代表の「松井大輔」選手がフランスサッカーリーグ、リーグアンの古豪 我が町サンテティエンヌに在席していました。しかしチーム側の事情とワールドカップの日本代表の選手選考を優先して1シーズンで移籍してしまいました。参照 wiki
2007-08シーズン終了後にル・マンとの契約を更新せず、リーグで10度の優勝を誇るASサンテティエンヌへの移籍を決め、2008-09シーズンよりクラブとの3年契約を交わした。シーズン序盤は充分に起用されなかったものの、シーズン途中に監督が交代すると徐々に出場機会を増やしていった。
2009年6月に翌年南アフリカで開催されるワールドカップ出場を目指すため、出場機会を求めてグルノーブル・フット38に移籍した。
神戸市とユネスコデザイン都市
ユネスコに認定された「デザイン都市」としてフランスで唯一の町ですが、デザイン活動における繋がり、および二年に一回開催されるサンテティエンヌ デザインフェスタでは神戸市との繋がりのおかげで日本人アーティストや文化関係者が来仏、します。
有人のウィスキーコレクション! ときどきスーパーマーケットで買えるのですが、すごく高いです |
世界的な建築家 Maki Humihiko事務所が手がけた駅前開発計画の一部 |
5.日本に貢献したStéphanoisステファノア(サンテティエンヌ人)
Jean François Coignet (ジャン=フランソワ=コワニエ)
彼はサンテティエンヌ出身(1835年 - 1902年)で、サンテティエンヌ工業大学卒業、フランス人技師として1867年に薩摩藩により招聘された、主に日本の鉱業の進歩に尽力した一人です。
兵庫県・生野銀山(生野鉱山)の近代化に尽力の傍ら、日本各地の鉱山調査を行ったとのこと。この写真は生野銀山に建てられた銅像です。
写真、引用WIKIPEDIA
鉱業が栄えた町として、現在の工業都市のルーツがある故、自分もこうしてここにいます。彼の存在は自分にとって奇妙な縁を感じます。
日本では知られる機会の少ない土地サンテティエンヌですが、日本とフランスの知られざる親交は昔から多く、見えないところで支えられていることに触れると嬉しいものです。
Saint Etienne vol.3へ続く!
Saint Etienne(サンテ=ティエンヌ) vol.1
日本の町工場の社長がフランスで挑戦、奮闘するブログです。駐在さん応援隊!
ではまた! A bientôt ! あ びあんとぅ!
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