2016-05-05

第2回渡仏 一期一会 

1月に続いて第2回目の渡仏が6月でした
夏前の暑い時期です



この視察で今後を左右する大きなきっかけに巡り会います
視察先の同業の社長と皆で一緒にランチをしているときのことでした
「Yutaka、今すぐ来い!」
自社のプレゼンを見てくれた後で、先方が欲しい技術内容とフィットしたようでした。
あまりに唐突でしたし、話が大きすぎてその時ははっきり理解できませんでした

「負債もあるし、従業員もいるし、今来いと言われても・・・」

しかし、この言葉の裏には「こっちでやれる」という裏付けがあったのです。その時は気がつきませんでしたが・・

その言葉をかけてくれたのが、いま自分が会社を置いている会社であり、後のパートナーシップに発展するAS-MECA BERNARD社の社長M.SOWAです


その言葉は間違いなく自分に刺さり、「いつかはフランスに行く日が来るのだろう」と思い始めるきっかけでもありました。
彼の言葉が無ければ、フランス行きは自分の中で現実味を帯びなかったのは間違いありません。

そのランチの後、ヨットが並ぶ湖畔を見下ろす住宅街に連れて行かれ、「ここに住めるんだよ」とたしなめられました。「ここに住みます!」なんて当時は冗談半分で口走っていました。
そんな日がほんとに来るとは・・・その時は想像もつきませんでしたが!



サンテティエンヌ近郊の湖 Saint Victor

 スイスとの国境に近い避暑地の湖   アヌシー湖

2016-05-04

初渡仏



自分の初渡仏は2012年の1月,CmonoC(シンクフォー、永井機械、由紀精密)の各代表4人と共に欧州を視察しました。





地域の経済公社のはからいで、同業の現地企業に触れることができました。また日本駐在の海外メーカーさんのはかくらいもあり現地メーカーなども訪れることができました。

知識も浅く、このときの印象は、ヨーロッパっておもしろそう!!!でした。純粋に違う文化圏で同業にあったり、仕事を見ることが楽しかったのです。
国内でも、同業他社の見学って楽しいですからね。

非常に濃く、初々しい2週間を過ごしました。


●同業を訪ねて
どの工場も土地に余裕があり、工場内も機会の配置などスカスカな印象、日本と一番大きく違うところです。しかし話をしてみると困りごとや加工費の相場観など似ているところもありました。違いよりも同業の親近感・匂いを多く感じました。


●工業施設の見学
技術の先端の一部を見られるわけですが、各自治体や業界団体が行う工業、技術の教育に対する考え方は日本より遙かにすすんでいました。







●メーカー見学
受け継がれる技術の歴史と先端技術の融合を感じました。

●観光
パリ観光はテレビの向こうにいる感じ!元々特別な「フランス愛」は無かったのだけれど、やっぱり生は良い!!

●料理
自分はフランス料理を堪能したことは結婚式の列席くらいか? フォーマルなお店や家庭的なフランス料理、どれもおいしかった。


まだまだビジネスの匂いを感じることはできなかったけれど、現地の同業と会えて、仲間を知ることができたのが何よりの収穫でした。


2016-04-20

なぜフランス?



なぜフランスなのか?

その前に、なぜアジアではなく、欧州なのか?
我々が日頃手がける部品加工は量産ではなく試作です。

研究開発品、航空宇宙、エネルギー関連、医療・・・などの小ロット品であり、この開発市場は先進国にあるためです。
またフランスはヨーロッパ屈指の工業国であり、エアバス、ダッソー、サフラン、プジョーシトロエン・・・とグローバル企業が多く(66社)、また航空宇宙関連の事業規模割合が対GDP比で世界一です。(全体の規模はアメリカが世界一)

また欧州は言葉、文化など他の先進諸国に比べると参入障壁も高いと予測していて、難し方からチャレンジしようということもあります。

進出先であるリヨン近郊(ローヌ・アルプ州 右やや下)は地理的に西ヨーロッパの中心に位置し、ドイツ、スイス、イタリアの国境に近くハブ的な特色を持っています。今後はフランスに限らず欧州各国と取り引きを始めたいです。

それに加えてフランスという響きは女性にとってプラスなイメージ、要素が多く、奥様(家族)を連れて行くには有利なんですね。。フランスがどうしてもいや・・・と言う人はあまり聞いたことがありません。
しかしながら近年はテロの脅威や経済の不安定要素など、マイナス面も確かに存在します。

進出先はリヨン近郊のサンテティエンヌ(Saint Etienne )となります。
リヨンへは日本からの直行便が無いため、乗り継ぎとなりますが、ヨーロッパ各都市からの乗り継ぎ便は豊富で、ドイツ、イタリア、スイス、オランダ、モスクワなど他にも多くの都市との乗り継ぎが可能です。中東、トルコなどもあります。もちろんパリからの乗り継ぎも可能です。パリから陸路TGVでの移動も可能です。
航空券のここ数年での相場観ですが、時期によって差はありますが、連休明けなどの最安でパリ直行で10万円以下、乗り継ぎで6万円を切るものも多くあります。もちろん往復です。安いと思いませんか??ぜひリヨン視察を視野に入れてみて下さい!

フランスの人口は日本の約半分6600万人、リヨン市は人口約50万人、近郊都市と合わせると約165万人で、フランス第二の規模です。日本の横浜市(370万人)とは姉妹都市の関係にあります。パリからTGVで2時間ほど。東京ー大阪間程度ですね。

日本の町工場が進出するという事例は自分たちで調べた限りでは「初」であり、この挑戦がぜひ次に繋がる事を願ってやみません!
つづく・・・A bientôt !

2016-03-28

きっかけ



「株式会社ダイショウ」は、創業1967年の高度経済成長期に起業した金属部品加工の会社です。自分の父が「漁師⇒工員⇒脱サラ」を経て起業しました。

会社、平たく言うと町工場です。最大で10名以上いた頃もありましたが、現在(2015年)はたった5人で操業しいる小さな工場です。
自分はここで工作機械に向き合い、部品加工中心に鉄を削っておりました。

脱線しますが、ここで企業連携について少し触れます・・・

高度経済成長を支えた中小零細企業は、内需が盛んでお互いが競争相手でした。
ところがバブルがはじけ、右肩上がりの経済曲線が崩壊し、続いてリーマンショック、ITバブルの崩壊などめまぐるしく変動する国内経済に翻弄され、吹けば飛ぶような零細(と言う言い方は嫌いですが…)町工場は存続の危機に立たされました。
自分を含め、当時の仲間の二代目、三代目の後継者は隣の会社と争っている場合ではなく、手を取り合い始めたのがこの連携のきっかけです。それが形となったのが、CmonoC(茅ケ崎ものづくりクラスター)です。特に開始日や縛り、定例会などを決めたわけでもなく、未だに自由な集まりです。
ただし常に目標があってそれに向かって結束してきた事が今に繋がっています。


2010年、そのCmnonCのある集まりで突然でた話題・・・
「みんなでフランスで仕事してみない?」
唐突な話でしたが、面白そうだし断る理由もなく、みなで「フランスへ行こう!」と夢を語り盛り上がりました。
「どうしてフランスなの?」というやり取りはもちろんありましたが、詳しくは後日・・・

最初は事の大きさを知るべくもなく、「海外出張に行ける絶好のチャンス!」と捉えていました。
「町工場⇔フランス」というキーワードが自分の中で繋がらず、そのギャップがまた面白いことになるのではないか???とシンプルに考えていました。粛々と鉄を削っていた自分とっては刺激的で閉塞感を打破するような心躍るエネルギーを感じました。
きっかけが唐突すぎて実感がほとんど無かったです。。。
この瞬間からフランス行きを目指す活動へ!
ここからすべてが始まります。
つづく・・・A bientôt !

2016-03-07

Bonjour!なぜブログを書くのか?




はじめまして。
当ブログの拝読ありがとうございます<m(__)m>
株式会社ダイショウの社長 石塚です。
ここから
「町工場のフランス奮闘記」
を記していきます。



まずは「町工場」と「フランス」という甚だ似つかわしくないキーワードに興味を持っていただければ嬉しいです。
同業の方にとっては、自分の目線が役にたてれば・・・・この挑戦が必ず足跡になるはず・・・と信じてます。そして同じ夢や挑戦を持つ仲間を増やしたいです。そして一緒に仕事をしたい!!!
現地町工場での生の声を届けられるよう、綴っていきます。

加えて、実際に海外で生活をするときの困りごとを検索したときに、どれほど個人のブログに助けられたか数えきれません。
公的なこと、プライベートなこと、日本とは違う環境で、違う社会で生活する方々の生の情報は貴重です。これからフランスへ来る方々、今いるフランスの日本人の仲間に少しでもお役に立てるように。

そしてフランス人の仲間へのメッセージをココに残したい。日々助けられる一方で、まだ思いの半分も伝えられない語学力ですが、彼らに対する気持ちををココに残し、少しづつフランス語も交えながら伝えていきたいと思っています。

どうぞ宜しくお願いします<m(__)m>


つづく・・・A bientôt !