2021-09-18

Renault トラックの前身 Berliet 社(ベリエ)の軌跡を訪ねる

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今は無きフランス自動車メーカー「BERLIET」ベリエ



去る2016年
ご縁があって、リヨン近郊で現在の「ルノートラック」の前身のメーカー、「BERLIET」(ベリエ)という今はなき自動車メーカーの展示を見る機会をいただきました。私設管理の展示で倉庫に保管されている物を見学します。なので、一般公開されていません。末えいのお孫さん直々の解説付きで百台以上を見てきました。(2020年より基金が運営する展示に変わりました。しかし博物館ではなく、基金による所蔵展示となります⇒ブログ最後にリンクを案内します)
トラック、特装車、軍事車両が主事業となるため、時代に翻弄され、経済動向やニーズの変化で様々な必需車両を製作してきた歴史は面白かったです。自分のお気に入りは、クラッシックカーのトラックと世界一巨大なダンプ!
クラッシックカーのトラックは商用という枠組みでなく、しっかりデザインされていました。

  1. 歴史背景
  2. 1900年〜 創業当時の自動車メーカーとしての生産群
  3. 戦時による特装車や軍事車両、後にトラックメーカーとして名をはせる時代
  4. 基金ホームページ アクセス


1.歴史背景

創業者マリウス・ベリエにより1899年に誕生、1970年ごろまでメーカーとしては存続していました。フランスのガソリンエンジン自動車メーカーの起源です。エンジンメーカーから発祥し、そのエンジンは堅牢で構造がシンプルという信頼を海外を含め勝ち取りました。

ボディの製作が始まり、トラックや産業用車両が登場しますが、そののち二回の戦争に翻弄されます。

1916
第一次世界大戦で堅牢なエンジンが評判を得て政府からの戦争特需の注文が増大し、工場を新設、事業を拡大します。しかし戦後受注は一気に途絶え、経営の危機に瀕します。


戦後、次の戦争までの間、積極的に新製品や開発が続き、メーカーとして確固たる地位を築きます。ディーゼルエンジンに舵を切るのもこのタイミングでした。


1940年代
第二次世界大戦 イギリス、フランスがドイツに宣戦布告し戦争が始まりますが、一部の工場が地理的にドイツに近かったこともあり一時占領地になってしまいました。そのため連合軍から爆撃を受け工場が一部生産できない状態に。その後 共産主義に協力した罪を着せられ、創業者であるマウリス・ベリエは投獄されます。戦後2年間の投獄の後、1949年に死去

戦後1950年以降は国の経済復興の上昇気流に乗り、経営もバランスを取り始めます。
しかし労働者による全国的なストライキにより会社が揺らぎます。経営陣は去り、会社は占拠され、労働者が勝利を勝ち取ります。

1970年まで一定の生産を保ちますが、つぎはオイルショックによる世界的な経済危機に翻弄され、政府監督下の元、1974年にルノーの子会社によって買収されます。1980年には完全にブランドが姿を消すこととなります。

2.1900年〜 創業当時の自動車メーカーとしての生産群

乗用車メインに商用車なども生産する時代、二度の世界大戦中にラグジュアリーカー644やDauphineシリーズを開発するが、二度目の戦争で戦時需要の会社へ
創業当時にしか見ることの出来ない一般大衆向けのラグジュアリーカー644

Dauphinシリーズ、オープントップも多くラインナップされた

1905年 HP60 
アメリカとの提携でライセンス生産を行ったが、技術が流出するなど問題を抱えた

3,戦時による特装車や軍事車両、後にトラックメーカーとして名をはせる時代

様々な時代の需要に応えるトラックを製造、多くのバスも手がけた。トラックは個性的な物が多く、大型化、走破性を極めた4輪駆動、当時石油採掘のサハラ砂漠での需要に応えるために開発されたBerliet 100Tなど




100T 700馬力の当時最大のダンプカー
1957年、サハラ砂漠の石油採掘に関わるプロジェクトにおいて、このトラックが製造されました。全部で4台が製造されたが、その後の受注や開発には繋がらなかった。

1902年(明治35年)日本との縁、どういういわれでこの写真があるのか分からなかったのですが、おそらく世界展開の営業の一環だと思われます。

様々な技術開発を行う中の変わり種、蒸気機関による自動車

軍事用に作られた水陸両用自動車

昔のアクセル(青部分)はこんな形でした

1923年にすでに電気自動車を開発、静かに徒歩のスピードで走る霊柩車
エンジン音が葬儀を邪魔しない仕様


写真を元に展示内容を紹介しています


4,基金HP アクセス

博物館は存在せず、末えいの子孫と雄志による基金が保存と不定期な展示を行っています。しかし見学出来ないわけではないので、HPの開催予定を確認すれば申し込みをすることが出来ます。見学場所はリヨン近郊です。

Fondation Berliet 
ここには様々な情報とトラックの歴史があります。一般的に紹介されていない情報が満載です
ネットショップ 




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2021-08-31

フランス「最も美しい村」Olargues ランドック・ルシヨン地方


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「最も美し村」に認定された山間の集落 
Olargues オラァグ村 を紹介します
↓発音です!



  1. 「最も美しい村」とは?
  2. Olargues にたどり着いたきっかけ
  3. 二つのモニュメント「悪魔橋」と「鐘の塔」
  4. アクセス



1,最も美しい村とは?


認定ロゴが掲げられる村の入り口

1982年にフランスで設立された「質のよい遺産を多く持つ田舎の小さな村の観光を促進する」ために作られた協会。以下の3点が守られて、存続されることが条件です。
  • 人口が2000人を超えないこと
  • 最低2つの遺産・遺跡(景観、芸術、科学、歴史の面で)があり土地利用計画で保護のための政策が行われていること
  • コミューン議会で同意が得られていること
認定後にも基準が守られているかどうかの審査が続くそうです。
車でこの地域の田舎の県道を走ると、たびたびこの看板に出くわします。通りすがりに立ち寄るドライブ旅行なんて気ままで楽しいと思います!!!2018時点で158の村が登録されています。

引用wiki

2,Olargues にたどり着いたきっかけ

青の位置が「宿泊場所」 赤が「悪魔橋」と「鐘の塔」


夏真っ盛りの8月の中旬、近所に用事があり、取った宿がココでした。正確には宿ではなく、Air BNBの個人の一軒家です。しかしこの村に溶け込んだ住宅の一部に位置し、小道を散歩する景観の一部に泊まれることはこの上ない喜びです。
ちなみに泊まったところはココ





清潔感のある快適なところでした。大家さんも親切なマダムで安心できました。


3,二つのモニュメント 「鐘の塔」と「悪魔橋」

「鐘の塔」
丘の頂上に立ち、どの方向からでも目にすることが出来るアイコン的存在感のある「鐘の塔」
丘の頂上、廃墟の基礎部分と「鐘の塔」


11世紀に建造された丘の頂上に立つ城が廃墟となり、基礎部分だけが残る中に塔だけが残りました。その塔が17世紀に鐘が吊され、教会として存続し今に至ります。
実際に行くと、建造物はこの鐘の塔だけであり、あたりは廃墟となり、基礎部分だけが残っています。この基礎の下階を覗くと、教会のおそらく礼拝に使われる施設がありました。




悪魔橋 Pont du diable


「悪魔橋」は12世紀に建造、1900年初頭に歴史的遺産として登録されました。神の橋という名の橋なのですが、「悪魔橋」と呼ばれるのはなんとも奇妙ないわれです。



実は「悪魔の橋 Pont du diable」という名前に名付けられた橋は欧州には多く、悪魔が橋を造ったといういわれがあります。


アーチの形をした橋は技術的に難しく、布石の順序や固定の仮設サポートなど建設の工夫が通常の建築などと比べて手間が掛かりました。膨大な手間を考えると、「悪魔じゃ無きゃ出来ない」くらいの言い回しの方が、完成した施工者の技術がたたえられたのかもしれません。この橋は住民が日常生活で使用しており、小型車なら一台ギリギリ通れるサイズです。
我々の家主は、この橋を車で渡って我々の荷物を駐車場まで運んでくれました。


小道を散策


この鐘の塔と悪魔橋を散策するのがこの地の楽しみ方の一つで、観光客がちらほら見受けられました。傾斜地に城下町として家々が連なり、その小道を歩くのは迷路を歩いているようで楽しい瞬間です。思い思いに塗られたカラフルな雨戸や建具はかわしらしさを醸し出します。



二つのアイコンと小道の散歩を動画にまとめました




4.アクセス




山間部の谷間に位置する立地なので、鉄道はありません。公共交通機関ではバス利用が出来るようです。レンタカーでも駐車スペースは沢山あるので気軽に立ち寄れます。

モンペリエからバスで約2時間 



自家用車の旅行だったので、完全自炊でした。近所にはパン屋もあるので、食材を買い込んで自炊もいいもんですよ!


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2021-08-28

「WA SUD」 フランス南部 日本人夫婦が経営するワイナリー訪問

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8月のバカンスを利用して、友人であり、日本人醸造家としてフランス南部でワインの醸造を行う「WA SUD」さんを訪問してきました。






岩(がん)ちゃんこと、Kohki IWATAさん 付き合いは古いのですが、訪問したのは初めてです。

2008年 醸造家として単身フランスに乗り込み、専門知識を習得するため現地の学校に通い、フランスのワイン農家で修行した後、2017年から「WA SUD」(和 南)という自身のドメインを立ち上げました。

本格的な「自然派ワイン」として長い歴史を持つパートナードメイン「Soulié」さんと共に自然派ワイン作りに取り組んでいます。





自ら畑で葡萄を栽培し、収穫、醸造、出荷までをこなすまさに彼の魂のこもったワイン造りに、同じ日本人として誇らしいし、応援したくなります。


※醸造家の奥様

「マダムがんの南仏便りは」こちら 





ラングドックという南部のワイン特産地域に属し、いわゆる高級志向のワインではなく、日常呑まれるテーブルワインとしての親しみがあるワインが多いのが特徴です。

 





「がん」と言う響きと、岩ちゃんのイラストがさらに親近感をアップ!葡萄ジュースもあります


醸造場所のCaveを訪れたあとに畑を見学してきました。収穫前の葡萄がたわわに実をつけた状態で訪れたので、歩きながらその実を食べるという贅沢もさせてもらいました。(最後の動画内で紹介させてもらっています)

素人が見ても畑の外観が綺麗に整っていて、周りの畑とは違うんです。日本人気質と岩ちゃんの思いが伝わってくる畑でした!
 

天候に左右される難しい仕事で、今年は春先に大きな冷害があったのでフランス各地の農家は悲鳴を上げているところなのですが、収穫量は減ったものの、ただ今収穫の真っ盛りだそうです!まさしく訪問したときの葡萄達が収穫されているところです!

 



訪問の様子を簡単に動画にまとめました。

動画中の「ヴェレソン」という言葉は収穫前の完全な色づきの少し手前の状態のことを言います。教えてもらいました(^0^)

こんな感じでドーロンが飛んでいました!



今後も定期的に紹介することになったので、また季節ごとにご案内できると思います。応援よろしくお願いします
我が家から約400km, 道中、世界一の高さを誇る斜張橋「ミヨー橋」も通ります。次回は必ずドローンを飛ばします!!また楽しみがふえました!!

 


 

下記販売サイト オンラインショップです

 

日🇯🇵仏🇫🇷両方で買えるので、日本人醸造家の現地フランス産 魂のこもった「本格自然派ワイン」に是非一度触れていただきたいです

。個人的にはココで紹介できたので、親近感を持ってもらえると嬉しいです!

 

スパークリングワイン、葡萄ジュースもラインアップされています!

日本🇯🇵「小松屋」オンラインショップ 


フランス🇫🇷「Petit caves」 オンラインショップ 





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