2016-07-22

生産終了、そして資産売却

株式会社ダイショウ(有限会社大昌製作所)は約半世紀にわたり、製造で事業を営んできました。

1967年 創業当時の第一期工場

1983年 創業から16年後に現工業団地へ移転


今回の挑戦のため、日本でその製造を一時的にやめる決断をしました。
町工場、ものづくりは工場インフラ、工作機械、工具やその他の設備があってはじめてお金を稼ぐことが出来ます。生産休止の決断をした瞬間インフラと設備の重さに、改めて気づかされます。





おそらく、製造で起業した1代目の工場経営者は苦労してそのインフラを整えるわけで、その重みを理解していますが、自分は2代目です。そのインフラに最初から守られていたわけで、今までその上であぐらをかいていたとさえ感じました。


SNS中で仲間の町工場での製造風景の投稿をみると、うらめしく思うくらい、生産から離れること、自分の手から設備が無くなることは恐怖でもありました。


しかしそれらの設備に関してはCmonoCに引き継がれ、今後何かしらの形で今回の挑戦に関わってくれるので、少しですが安心材料ではあります。

設備の移籍先の一つとなったCmonoCの「株式会社Quleadクリード」新工場

渡仏に先立ち、自分は「Compétences et talents」(コンペタンス・エ・タラン)という滞在許可書を取得してフランス事業を目指します。


自分の経験と多少の能力しか持っていけません。
結局のところ、フランスに設備が無いと物は作れないのですが、同業のパートナーの存在でそれが実現可能となります。




心境的には包丁一本で外国に店を出す料理人の心境とはこういう物か、と勝手に想像します。


自分に出来ることは、単純明快です。
町工場で養った経験を進めるのみです。
退路を断った進出計画
一人の限界もあり、一足飛びには行きませんが、一歩一歩あゆみを進めます。

2 件のコメント:

  1. 退路絶っての決断、すばらいいです。
    陰ながら応援させて頂きます!

    松島

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    1. お世話様です。陰ながらとは仰らず。。でもその助力と応援に助けられています。引き続きよろしくお願いいたします。

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